原子力規制委が、会見から「赤旗」記者を締め出した

●きょう原子力規制庁が、田中・原子力規制委員長の定例記者会見をおこなった際、「赤旗」記者の出席を認めなかったことが報道された(産経ニュースサイト)。

 

これに先だつ19日の第1回委員会で、田中委員長は、

「地に落ちた原子力安全行政に対する信頼を回復する」ため、

「透明性を確保する」

「報道機関への発表を積極的に行うことで、委員会としてのメッセージを分かりやすく伝える」

との方針を決めていた。しかも、報道の体制については、

「報道機関を既存官庁よりも広く捉え、報道を事業として行う団体や個人を対象にする」

と明言していた。

これまでの、内閣府原子力安全委員会のあとにひらかれた委員長らの記者会見でさえ「赤旗」記者は締め出されたことはなかったという(赤旗報道)。

 

田中委員長はきょうの会見で、赤旗記者の締め出しについて、「報道を事業とする」という趣旨に赤旗はそぐわないこと、政党機関紙の記者が出席すると「政治からの独立が少し怪しくなる」という、理解に苦しむ言い訳をしたそうだ。要するに批判政党の取材を締め出したいだけだろう。

これは国民の知る権利に関わる大きな事件であるだけでなく、原発事故のいったい何を反省しているのかが問われる大問題だ。こんなことがまかり通っては、日本の民主主義が、ひいては国民の命が危ういということになる。決して大げさではないということを、原発事故が証明している。

 

果たして、明日の各紙朝刊がこれをどう扱うか。日本のジャーナリストが体制依存的であることは、世界的に見ても異常であることが指摘されている。「記者クラブ」制度の弊害も言われて久しいが、一向に改善されない。

 

●昔、国民生活に関わるある制度の推進議員連盟の主催した会議の議事録作成に関わったことがあるが、その会議には日本を代表する新聞各社の論説委員クラスが参加しており、制度推進に賛成する記事や論説を張ってくれという依頼に対し、当然のごとく応えていたのにはびっくりした。政治権力が報道に介入する現場を目の当たりにした思いだった。

 

●国の審議会の議事録では、審議というのは名ばかりで、官僚が作った叩き台の原案に枝葉の意見を付け加えるだけの発言しかしないのがお約束のような審議ばかりだった。「なるほど、こういうものなのか」と妙に納得した経験がある。

 

●だから、このたびの原子力規制委員会がどんなものなのか、ホントに心配である。記者クラブに依存するような名だたるマスコミは名だたるだけに丸めこまれやすき、となれば、少数派、非商業主義(非事業的)ジャーナリズムにこそ期待がもてるというものだ。

会見への出席資格として「報道を事業とするか否か」という基準は意味がないし、資格基準を設けること自体がおかしい。

 

いま、紙上報道より、インターネットでの個人やNPOからの発信のほうが多彩であり、多面的な情報を得られる時代に既になっている(真偽検証取捨選択の難しさはあるが)。新聞各社も自省をこめて、今回の事件の意味を深刻に受け止めて大きく扱ってほしいと思う。