新藤兼人監督、「縮図」で高田をロケ地に選んだ理由

 5月29日、新藤兼人監督死去。映画人生を通して反戦を貫いた反骨の人でした。5月6日には高田世界館で「縮図」が上映されたばかり。「縮図」は満席?に近い動員数だったようです。

 

 ところで、徳田秋声が1941年に都新聞に連載した原作小説である「縮図」は、芸者を描いていたので、情報局から時局柄好ましくないと干渉を受けて中絶されたそうです。監督はこれについて「戦争に向かって大いに恨みを言いたい」と書いています。

 53年、監督作品である「原爆の子」がカンヌ国際映画際に出品された際は、アメリカが圧力をかけ、日本の外務省は受賞に妨害工作を試みていたことが、89年の外交文書公開で明らかになりました。原爆を初めて映画で扱った作品だったのです。

 

 私が若い頃買った同監督著「シナリオ修業」1962年12月初版・84年7月16版、ダヴィッド社)という本を改めて見てみますと、「『縮図』ノート」の章があり、映画化のいきさつや取材について書かれていました。

 その中に、ロケ地を高田にした理由が書いてありました。原作では、千葉へ売られた銀子(主人公)が、そこをしくじって石巻港に住み替えをするのですが、石巻では千葉と近いし、ともに漁港であることが面白くないので、雪の高田にした、銀子の侘しい人生を彩るには、雪の高田が効果的のように思われたからだ、ということでした。

 

 監督は、イラク戦争の起きた2003年、対談で次のように語っていました。 

  人一人殺しても死刑になることがあるのに、戦争はたくさん殺したら勲章がもらえる。      

  原爆の風化を言うけれど、どんどん出版したり映画を作ったりしないといけない。

  イラクのように世界が混乱する時代に、ヒロシマから何を発言するかは重大です。

            (03年、故松重美人さんとの対談:ヒロシマ平和メディアセンター)

 

 出身地である広島と戦争体験を終生背負って映画人生を全うされた監督を偲び、若い頃に買ったこの本をまた読んでみようと思います。



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コメント: 1
  • #1

    クマバチ (月曜日, 04 6月 2012 18:27)

    新藤兼人監督・・・大切な人をなくしました。
    でも、メッセージが残っています。
    初めて知ったメッセージです。 大切にしたいです。
    一人殺しても死刑になることがあるのに、戦争はたくさん殺したら勲章が・・云々
    本当にその通りです。 戦争になったらすべて狂った世界になります。
    今こそ九条です。九条は日本の・世界の羅針盤だと思います。