リージョンプラザ上越がビッシリ満席になりました。若い人からご年配まで、世代的にも偏りのないが印象的でした。順番と演目は次のとおりでした。
一、柳家ろべえ お世辞&子ぼめ
二、柳家小三治 あくび指南
三、柳家はん冶 生け簀の鯛(桂三枝の創作落語)
(仲入り)
四、柳家小三治 義太夫語り
小三治師匠が2番目に登場して驚きました。演目の「あくび指南」は、昨年10月8日に林家ペー師匠と三遊亭白鳥の異色寄席の際、白鳥が演じた演目でした。落語家は寄席の会場に来てから演目を決めるといいますから、上越には「あくび指南」がピタッとくる空気でもあるのでしょうか?
昨年の3月12日、上越で師匠の独演会が開催される予定でした。その前日、つまり大震災の日に、師匠は上越に向かう新幹線が熊谷に向かっているところで震災に遭いました。停電下、車内に5時間閉じ込められ、結局、新幹線を降りて高架を歩いて熊谷駅にたどり着いたそうです。
師匠は震災が大きな変化をもたらしたとして、こんなふうに言いました。
あの日から日本は大きく変わってしまいました。アメリカも9・11で大きく変わりました。一つのきっかけで世の中は大きく変わるんですな。あれから日本人は心があたたかくなった。それまでは災害があったって他人事だったですね。「大変ですねえ」と口では言うけど、他人事だった。震災以降は、自分のことのように感じるようになりました。何もできない自分が情けないと思うようになった。
師匠の言葉に付け加えて言うならば、原発事故を通じて、次世代の将来を日本中の人が真剣に考えるようになったと思います。とりわけ、幼い子を持つ若い親たち、若い世代たちの中に、行動に踏み出す人が増えたのではないでしょうか。空気、水、食料は生命を維持する基本、同じように、憲法も、日本人が生きていく社会的条件を決める基本です。
師匠は「自分の名を残そうという考え方は、セコイ」と言いましたが、豊かな自然とよりよい社会は、次世代へ引き継いで残していきたいものです。
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