上越市の地域活動支援事業、メニューも彩りゆたかに

●新潟日報に「上越かわらばん」というペラのニュースチラシが毎日折り込まれてきますが、きょうは「地域協だより」の記事がふと目にとまりました。高田地区で21件、春日地区で12件の地域活動支援事業が採択されたとのことで、採択事業がズラリと並べられていました。

 

●春日地区は「道路標示の修繕」とか「御館川堤防の草刈」「消防団支援」といった、地道に地域住民の生活環境、観光資源保護を支える活動が多く、高田地区では「青田川魚すくい大会」とか「松平忠輝公と五郎八姫の歴史講演会」とか、なになにフェスティバルといったような集客的、楽しもう的活動が多く、それぞれの地域特性が表れているように見えます。

 

●この地域活動支援事業はイタリア・ボローニャの市民自治をまねたものではないかと思っていますが、実際どのような経緯で発案されたのでしょう。

ボローニャは大学発祥の地であり、第二次世界大戦中はファシストとナチスを市民の手で追い出して街を自力で解放した町であり、住民と行政、大学、企業の協同で町づくりをすすめる自治のあり方はボローニャ方式といわれ有名です。井上ひさしの『ボローニャ紀行』がその辺を実に生き生きとよく伝えています。

 

●ボローニャでは、行政の手の届かない部分、発想できない部分を住民たちの自発的なアイデアが補完し、行政がそれに予算をつけて支えるというシステムが出来上がっています。上越市の地域活動支援事業はまだ始まったばかりですが、町内会など従来の地縁組織との両輪で住民自治の芽を育てようという行政の期待に、住民も主体性を発揮して応えていくことで、次第に自治が根付いていけばすばらしいと思います。なんて、他人事のように評論するのが一番ダメである……。

 

●ボローニャの住民がファシストとナチスを追い出した力は、この自治力と結びついているのではないでしょうか。戦争遂行のためには財政の中央集権化が必要であり、それにともなう政治権力の集中が求められます。1929年の世界恐慌を戦争によって脱出しようとした多くの国が、地方分権をかなぐり捨てて中央集権に走っていきました。逆にいえば、地方分権のもと、地方自治を守り育てることは、九条の国づくりの根幹の一つといってもいい。

 

●東京府の中の一つの自治体であった東京市も、1943年には国の中央としての都に改変されました。地方政党だったナチスが、中央政府に対する国民の不満に乗じて政権を奪取していく過程は、機能しない議会の軽視から反議会主義へ、ついには議会の承認なしに行政が立法権を行使できるという全権委任法の成立……と進んでいきました。ヒトラーの手法はご存知のように徹底的に単純化したスローガンと雄弁による大衆操作でした……。

 

●ここまで書くと、どこかの市長がまるでそっくりなことに気がつきます。住民自治より権限の集中をめざし、自治体の首長でありながらその公務員には国家国旗に忠誠を示すことを最優先に求め、選挙で勝てば白紙委任されたことだと言って憚らない大阪市長。市民活動やその拠点となる施設の補助金を軒並みカットするのも、自治の思想そのものが乏しいからではないでしょうか。めざすところが本当の地方分権とはとても思えません。自らへの集権か。

ナチスの台頭したドイツの歴史、地方分権を守って恐慌を脱出したスイスやスウェーデンの歴史、ボローニャの住民自治の歴史……学びたいことは多々ありますが、さて、いつになるやら……。