●17日は敬老の日でした。高齢化がすすむ日本ですが、戦争体験者はどんどん少数派になっています。終戦45年に生まれた方が今年67歳になりますから、軍隊体験者となると、若くて82歳、大方は90歳前後からそれ以上のお年になるのでしょう。
●きょうの新潟日報で、名立機雷爆発事件がおきた3月30日を「平和を守る日(仮称)」にしようという運動を地元がすすめていることが紹介されていました。「名立の子どもを守り育む会」が中心になって取り組んでいるそうです。これまでに資料収集や証言DVDの制作を行ってきたということで、「事件を風化させず、次世代に語り継ぐのが私たちの使命」と会長の高橋良弘さんは語っています。
その高橋さん、お年は68歳とのことですから、事件が発生した1949年にはまだ3歳か4歳ということになります。物心つくかつかないかのときの事件を次世代に伝えなければという志に頭が下がります。きっと、高橋さん自身も周りの大人たちから事件のことを伝え聞いて育ったのでしょう。そのうちに、わがことのように思うになったのだと思います。
●2,3年前?でしたか、三和区の老人クラブが戦争体験集を発行したことが報じられていました。老人クラブでもこういうことするんだと思った記憶があります。
上越市では、皆川製菓の皆川会長も積極的に小中学校へ出向いて体験を語る活動をなさっていますし、当会もお招きしたことがある牧区の五十嵐巌さん(写真)も請われればどこへでも出向き、語り部の活動を45年間続けておられます。「元気である限り続けたい。それが神様から生かされた私の役目ですから」と語っています(参照サイト→にいがた人模様:戦争体験の語り部、五十嵐巌さん)。
他にも、地域の小中学校へ招かれて語った経験のある方も大勢いらっしゃることでしょう。直接聞いた身近な人の戦争体験は、大人の想像以上に子どもたちの心に残るものだと思います。
●悲惨な体験を話すことはご本人にとっても辛いことだと思います。思い出すのも嫌でしょう。でも、もしまだご自分の体験を子や孫に語ったことのない方がいたら、1回でいいから話してやってほしいと思います。話すのが苦なら書いて残してやってほしい。子どもにとっては親族の戦争体験を知ることが一番の生きた平和教育だと思いますし、それはその方自身にしかできない平和への貢献の大きな仕事だと思うからです。
●広島や長崎で、これまで一言も被爆体験を語らなかった被爆者の方たちが、高齢になったいま、次代へ伝えなければという気持ちになって初めて証言したという例が増えています。
国連軍縮部は、北南米大陸やハワイに住む広島・長崎の被爆者が被爆体験を語る映像記録を集め、11ヶ国語の字幕をつけて公開するウェブサイトを今年8月6日から運用開始したそうです。(そのサイトを見ようとしたのですが、エラーになってしまい、見ることができないでいます)
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