きょうの新潟日報の「現論」の、斎藤美奈子さんの批評がおもしろかったです。そうか、こんなふうな言葉があったんだ、と感心。
「自民党の総裁選を見る限り、この党は脱原発やエネルギー政策転換などは眼中にないらしいことがわかる」
(わかるわかる)
「彼らが意欲を燃やすのは、集団的自衛権行使と改憲」
(そうや。叫んでおったで)
「震災も原発事故も主要な論点とはならず、改憲にまっしぐらの総裁選はあさっての方向を向いているとしかいいようがない」
(「あさっての方向」、いいな、それ。それ言うたかったんや!)
「安倍新総裁は『日本の美しい海、領土が侵されようとしている』と訴えたが、日本の海と国土は、外敵以前に放射能で『侵され』ている」
(まったくやわ。もう福島のこと忘れとるんかいな)
「民主党の右往左往、朝令暮改ぶりは目をおおうばかりだけど、それにならえば自民党は『右往右往』、朝決めた方針を状況が一転しても変えない『朝令暮令』だ」
(「うおう・うおう、ちょうれい・ぼれい」? 造語がお上手やわ。そのとおりやがな!)
と、相打ちを入れながら読んでおりました。
批評のなかで『阿武隈共和国独立宣言』という小説を紹介していました。原発事故で帰還困難区域に指定された架空の村の老人たちが日本政府に抗議して独立宣言をするという物語。井上ひさしの『吉里吉里人』は最後虚しいような気持ちになってしまったけど、こちらはどうなんだろう。ぜひ読んでみたいです。
●前回のブログにご意見をいただきありがとうございました。大雑把な言葉だなあ、何か言われるかなアと思いながら「市民感覚」という言葉を使ってしまいました。 予感が的中。クララさんのおっしゃるとおり、あいまいな言葉を使わないように気をつけたいと思います。
コメントをお書きください
クララ (火曜日, 09 10月 2012 11:21)
そもそも、自由党と民主党の大合同の理念は「自主憲法制定」ですから、筋を通している、とも言ますね。ある意味、民主党のように、「原発を大量増設して二酸化炭素排出25%削減」「消費税は上げない」という方針を、たった2年で「原発ゼロを目指す」だの「消費税は10%にします」だの、コロコロ変わるよりも清々しいかも・・・。
各種世論調査をみても、「市民感覚では99%の市民が原発反対」では、決してないと思いますよ。「人はパンのみで生きるにあらず」ではありますが、「パンが食えなくなったらどうしよう」と考えるのも「市民感覚」です。「市民活動」をしている方々は、「自分たちは絶対の正義なんだから、皆がついてくるのは当然」という独善が、どうしても感じられてしまう感がある気がします。でもそれではファシズムです。声を上げない「市民」はいずれ、ついてこなくなる可能性があります。「原発ゼロ」に漠然と不安を感じている「市民」にも、感情論ではなく、実証的・論理的に説得する必要性があるのではないでしょうか。