●マララさんの次に、岩手県の釜石市の小中学生が発揮した子ども力(?)。
ご存知のように、釜石市の小中学生は、東北大震災の津波に見事に対応しました。先日NHKでも特集をしていましたが、他と比べて特に熱心に防災教育をしていたわけではなかったと教師は言っていました。
●でも、やはり特別な教育を受けていたようです。群馬大学の広域首都圏防災研究センターが8年前に釜石市で防災講習会を始めていたのです。そのセンター長である片田敏孝さんの講演抄録を読み、とても勉強になりました。昨年来あちこちで報道されてきましたからとっくにご存知の方もいらっしゃると思いますが、以下、要旨です。
- 津波警報が出されても避難をしなくなっていた住民の意識を変えるため、センターは8年前に大人を対象に講習会を始めた。
- しばらく続けると、顔ぶれが同じであることに気がついた。
- もとから防災意識の高い人だけが参加するのでは意味がないと考え、小中学生を対象にした防災教育に切り替えた。
- 小中学生に伝えてきたことは、次のモットーにまとめられる。
「大いなる自然の営みに畏敬の念を持ち、行政に委ねることなく、自らの命を守ることに主体的たれ」
- 具体的な行動原則として教え込んだのは、次の「避難の3原則」である。
●想定にとらわれるな
●最善を尽くせ
●率先避難者たれ
- 釜石の小中学生たちは見事に3原則を実行してくれた。
- 防災教育の最大の狙いは、子どもたちが防災に主体的に取り組む点にあった。
- 津波でたくさんの犠牲者が出たという話をしつこいくらい繰り返しても効果はない。子どもたちは釜石を嫌いになるだけだ。外圧で生れた危機感は長続きしない。
- 地域偏重の防災教育は、行動に結びつくかどうかという点で効果が疑わしい。
- 教員の意識をたかめるため、学校ごとに理解者をつくり、活動に参加してもらった。
- 算数、理科、社会の授業で津波に関する話題を取り上げられるような「津波防災教育のための手引き」をつくったおかげで、津波防災のための特別授業を設ける必要がなかった。
- 「津波てんでんこ」という先人の知恵の意味を伝えた。
- 自然の営みに対する畏敬の念を持ちつつ、最善を尽くす──。思いあるところに途はかならずある、と私は確信している。
ざっと以上のような内容でした。
参考サイト:日経BP社ITpro
●もちろん、この防災教育だけが子どもたちを救ったわけではないことを忘れてはなりません。
全長約2キロに及ぶ釜石湾口の8割を覆う大防波堤は、水深63メートルの海底に石を積んだ土台があり、そこに3万トンのコンクリートブロック約70個が並んだ“守護神”だった。港湾空港技術研究所の調査では、崩壊したものの津波の高さを約4割低減させ到達時間を6分遅らせた。(岩手日報)
●私が感じたのは、全てとはいいませんが、この防災教育のあり方が平和教育にとても参考になるのではないかということです。というのも、私は学生時代に後輩に言われた忘れられない一言があります。原爆の映像かなにか(忘れてしまった!)を見た(見せた)後、感想を求められた新入生だったその子の一言。
「私の通っていた小学校も中学校もなぜか平和教育がさかんで、さんざん戦争や原爆の映像を見せられた。またか、という感じ」。
そんな正直な(!)言葉が返ってくるとは想定外だった私は、未熟にもウッと詰まってしまいましたヨ。だけど、もう一人の後輩が「これは結果だ。こういう結果を生んだ原因こそ大事だと思うし、私は知りたい」とすばらしい感想を述べてくれて救われましたとサ。
そんな恥ずかしい若かりし日を思い出してしまいました。いまでも恥ずかしい日々に変わりはありませんが……。
しかしながら、後輩前者の一言が私は忘れられないまま現在に至ります。というのも、私の受けた平和教育もまさに原爆被害の映像だけだったから、「それもそうね」と内心同感したのです。そこが出発点であって間違いはないと思いますが、問題は、その次がなくてそればかり、という点。
たしかに、歴史の授業では戦争に至る原因も経過も学びますが、戦争を防ぐ主体者となるための教育とは違うと思います。上記の防災教育のように、もっと主体的に考え、行動する主権者たらしめる平和教育プログラムがあってしかるべきではないでしょうか。どこかにあるのかもしれませんが。あったとしても、教育の現場がそういう実践を許さない現状にあるのかもしれません。だとしたら、どこかでそういう場があってほしいものです。当会で提供できればそれに越したことはないのですが、いかんせん、児童・学生コースの例会を設定できる状況になく……。どなたか知恵と力を貸してくれる方はいらっしゃいませんか?
●それにしても、力のある教育というのはすごいですね。子どもたちにちゃんと伝わるし、子どもたちがしっかり吸収して、自分のものしていたというのが感動的です。「亀の甲より年の劫」とか子どもの発想は大人の知恵に劣ると言いますが、一人の人間の数十年の経験なんて、たかが知れたものと考えるべきです。むしろ、狭い経験に囚われて道を誤ってしまうのかもしれません。歴史から学んだエッセンスを丸ごと取り込む素直な力こそ子どもたちの輝きです。そういう姿に学ばなければと思いました。
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九条おじさん (水曜日, 24 10月 2012 17:26)
ここ2・3日の報道から、国連総会の委員会で、核兵器の非人道性から、その使用を国際法で非合法とする努力をの求める声明が発表されたが、有志国からの打診に対して、日本政府は拒否したという。唯一の被爆国、そして、福島原発事故のすぐ後なのに、まさに「日本がどう発言するか」の出番なのに、全くの愚行と思う。